昭和30年代に入るとさっぽろテレビ塔やもいわ山ロープウェイなどのランドマークができて、更に、エネルギー革命で炭鉱関係者の受け皿としての役割を果たし、道外への流出を歯止めしながら、人口が40万台まで登りました。開拓以来のずっと悩んでいた冬季の交通事情も、昭和40年代に大きく改善された。アジア初めての冬季五輪の開催地に選定された札幌市は東京、大阪、名古屋に続く国内4番目の地下鉄が建設し、同時に日本一の直線距離の長い地下街ができて、どんな猛吹雪でも安心して札幌駅、すすきのと大通の二大繁華街で行ったり来たり、そして買い物ができるようになり、都心部の利便性や賑わいが高まり、昭和45年で100万人を突破、政令指定都市の要件に達して昭和47年に移行されました。