6次産業のさきがけ@帯広市

令和4年1月16日

昭和8年の今日、帯広で市制を施行することは公布さました。これは北海道に市制導入当初に発足された六市以来初めてで、道内の多くの地域が官主導の開拓に対し、帯広は主導民間の事業です

場所

帯広市

期間

1月16日

帯広市役所
帯広市役所

写真提供: 大竹口武光さん

昭和8年の今日、帯広で市制を施行することは官報によって公布さました。これは北海道にも市制の導入が果たした当初に発足された六市(札幌、函館、小樽、釧路、旭川、室蘭)以来初めての市制施行です。もう一つ特筆すべきのは、道内の多くの地域が官主導の屯田兵により開拓されたのに対し、帯広は自らでこの大地を選んで、静岡出身の依田勉三率いる晩成社による民間事業です。

現在の十勝にあたる地域は、古くから砂金が採れる場所として知られて、海岸に近いところでは貿易拠点「トカチ場所」が設置され、弁天宮や神社まで揃った町まで発展していきました一方、内陸部に位置する帯広は人煙希な秘境だった。

ロシアと接せずことから、屯田兵を配置する必要が低く、また幕末から明治初期の激変で、漁業や狩りを管理する仕組みが倒れて、乱獲により資源が激減し、十勝を去り行かざるを得ない人が続出する事態になっていますが、北海道の名付け親・松浦武四郎が記した紀行文「十勝日誌」により、この原野が肥沃で農業に適していることが広く知られるようになりました。

慶應義塾に進学し福澤諭吉らの影響を受けて、北海道開拓の志を立てた依田勉三は、明治14年に自らで北海道に渡って調査を行った上で、翌年に5万円を資本金として晩成社を設立し、未開地一万町歩を政府から無償で払い下げを受け開墾しようという事業計画が立てました。明治16年、募集を応じた13戸27人の移民が松崎町から2か月かけて海を渡り北海道へやってきました。
理論の上では米どころになるはずと言っても、昼も暗いほど生い茂る樹木が覆った未開の原野を切り開くことは困難を極め、野火、野獣そして天候不順の被害に遭い、生活が行き詰まった開拓民はあっという間に3戸にまで減りました。そこで、晩成社が打ち出した対策は、農業生産のほかに、加工と流通・販売にも手掛けて、リスクの集中を回避しながら新たな価値を生み出すこと、現代的な言葉に言い換えれば「6次産業化」でした。

明治18年、晩成社は農馬を導入し、プラウ、ハロー、カルチベータなどの農具を駆使して農耕の機械化を試みました。開拓の厳しい作業に使われた馬は駄載力が要求されるため、十勝では品種改良が積極的に進められ、明治41年音更町で重量物を積載したそりを曳く競走「輓曳競馬」が道内に初めて開催され、これは帯広名物「ばんえい競馬」の始まりでした。

農馬導入の翌年更に牧場を開き、牛の飼育を開始しました。当時十勝の人口はまだ少なく、肉食も日本に定着していませんので、晩成社は販路開拓のため、晩成社は500キロを離れた函館に牛肉店を開業させ、産地から丸一月の時間をかけて牛を連れて歩いて運んで、輸送面での課題の解決策を探しながら、北海道最大の都市に牛肉という珍しい食品を提供しました。明治30年代に鉄道が開通すると、晩成社は畜農業を加えて、バター、缶詰と練乳工場も創業し、バターの加工販売を乗り出して、食の宝箱・十勝から消費者が多い東京まで直送販売するビジネスチャンスをつかめようとしていました。残念ながらインフラや技術はまだまだ整えなかった時代では、やはり生産、輸送に不安が残っており、事業拡大には至らずままで依田勉三が倒れてしまいます。

帯広市ギャラリー

写真提供: 大竹口武光さんと菊地ルツさん

晩成社が解散された翌年の昭和8年、帯広は市制を施行しました。依田勉三が晩年に述べた「晩成社には何も残らん。しかし、十勝野には…」ように、手掛けた事業は何れも、現在の十勝・帯広に根付く産業となりました。令和3年現在、十勝の食料自給率がカロリーベースで1339%、全国の生乳のうち約15%は十勝産です。また、宅地として放出された社有地も多くの移民を惹きつけ、帯広市の礎が作りました。北海道開拓の志を遂げるため自らがさきがけとなった依田勉三は、十勝振興局の傍に銅像が建立され、北海道神宮にある開拓神社で間宮林蔵などの功労者とともに合祀されました。

道東最大の都市として栄える現在の帯広市は、依田勉三と晩成社の先駆的な事業に挑戦する精神を脈々と受け継ぎ、六次産業化の取り組みが数多くの見られています。北海道の名付け親の言う通りに、十勝は日本最大の食料基地となり、平成25年には十勝管内19市町村とともに、バイオマスの収集・運搬、製造、利用するシステムを軸とした「バイオマス産業都市」全国第1号に選定され、畜農業の廃棄物を活用し水素サプライチェーンする実験など、環境にやさしく災害に強いまちづくりを目指すほか、日高山脈襟裳国定公園を国立公園に格上げすることを推進し、素晴らしい自然環境を生かした地域活性化を進んでいます。1次・2次・3次それぞれの産業を融合することにより、新しい産業を形成ことがまずまず重視されている今、帯広市今後の発展に注目していきたいです。

帯広名物「ばんえい競馬」
帯広名物「ばんえい競馬」

写真提供: 菊地ルツさん

帯広市開拓・市制施行記念事業のウェブページ

帯広市は開拓・市制施行記念事業のウェブページがあります。ぜひご覧ください。

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昭和8年の今日、帯広で市制を施行することは公布さました。これは北海道に市制導入当初に発足された六市以来初めてで、道内の多くの地域が官主導の開拓に対し、帯広は主導民間の事業です

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